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友人と価値

友人というものは物心が付く頃には既に確立されている場合があります。規模の大小はあれど、友人が一人もいないという人はそういないでしょうし、生きてきた中で友人が1人も出来なかったというのは皆無だといっても過言ではないかもしれません。子どもの頃はこの友人が自分の世界において大きなウェイトを誇るのですが、場合によっては喧嘩別れをしてしまったり、進路で離れてしまったりと、生きていく中で変化していくのもまた友人です。
そんな友人ですが、『友人は財産』という言葉を聞いたり見たりした事はありませんか?
もし見掛けたら、その時は疑問を感じてみると良いかもしれません。

友人は長い人生においてとても大切な要因で、子ども時代には中枢とも言える要因ですが、『大切=財産』という図式は実に大人らしい発想といえるのではないでしょうか。それは『友情』や『友人』の価値から大きく離れていると言っても過言ではないかもしれません。

私達大人はこういった変換を無意識の内に使っている場合があります。仮に「友人は財産だ」と子供に諭したとして、子供から「財産って何?」と返されたと想像すると、言葉の意味が非常に良く分かってきます。

それならば、『友情』とはいったい何なのでしょうか?
この問に正しく答えられる人はそうはいないと思います。どの辞書にも明確なラインというのは乗っていないでしょう。しかし、そうそう答える事が出来ないモノだからこそ、多くの人によって、様々な形で論じられているものなのではないでしょうか。
よく『友情』と『愛情』を秤に掛ける事がありますが、『秤に掛ける』という行為もまた大人がよく用いる手法で、言い変えれば打算といっても良いかもしれません。

価値というのは人それぞれであるというのは誰もが知っていることです。
しかし、大人になると思いもよらない部分で価値が変わっている事が分かり、世代によっても価値というものは大きく変わってきます。例えば、家に何気なくまとめてある空きダンボールも、大人からすれば資源ゴミの日に出すか、梱包用にとっておくかのいずれかになってしまいますが、子どもからしたら自分の力で簡単に加工が出来る格好の遊び道具かもしれません。
大人になり、社会に出ることによって財産の価値を知ったとしても、それがそのまま子どもにも当て嵌まるとは言えないのです。

教育の現場において、こうした価値感を見極めるというのは非常に重要なポイントといえます。これは学校教育でも家庭教育でも同じ事です。


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